阪神・淡路大震災から、21年・・・。

21年前のこの日(1995年1月17日)、わたしは兵庫県の宝塚市光明町に住んでいました。


この前年12月に乳がんの手術を受けて入院中のパートナーが、年末年始の外泊(帰宅)期間を終えて、この日の午前中に西宮の病院に戻る予定の朝だったのです。家族4人が一緒に家に居たことは不幸中の幸いでした。

戻る予定の病院も被災して病院に戻ることもままならず、そのまま退院する結果となりました。宝塚の土地がらか近所の方々がお互いの無事を確認しあったものでした。石油ストーブをおもてに置いて暖をとったり、部屋の中で倒れた家具や散乱したモノを片付けたり、すぐにお店を開いてくれた近隣のスーパーやコンビニに買い出しにいったりとあわただしく不便な生活が始まりました。


1月23日には、3駅先の門戸厄神駅からオフィスのある新大阪まで通勤ができるようになり、門戸厄神まで自転車で走り、駅前に路上駐輪をしてオフィスに向かうことができました。


ある日オフィスからの帰り、門戸厄神駅にたどり着いて、駅前に駐輪した自転車のところに行くとわたしの自転車に乗ろうとしている男の人がいました。日々の生活、通勤に疲れていたのでしょう。おそらく遠く離れた家まで、それから歩いて帰るのは堪えられない思いでやむにやまれず他人(わたし)の自転車に手をのばしたのでしょう。


わたしもその人を咎める気にはなれず、小さな声で「それ、わたしの自転車です。」とだけ声をかけました。その人は、コクリとうなずいてそっと自転車から手を離しその場を去っていきました。いろいろな人間模様を目にすることとなりましたが、みんな良い人ばかりでした。


ふりかえると、いろいろなことに思いをめぐらしたある意味で貴重な時でした。

パートナーは翌年の桜の季節に旅立ちました・・・。



今日も幸せ

明日も幸せ。


たなかやすひこ

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