ことばは、「文字」と「意味」と「音」から成っているらしい。
「だいじょうぶ?」と「だいじょうぶ!」とは同じ文字なのに
語尾の「音」のちがいで、ずいぶん意味が異なってしまう。
「あなたのことなんか、キライ!」ということばもそうだ。
断定的な言い方であれば
この二人はこの後、別々の道を歩き始めるのかもしれない。
それが、甘えた物言いであれば
この二人は、手をつないでひとつの道を歩き始めていることだろう。
「言語化する」ということを
随分推奨されているような気もするが
私は「言語化する」ことが苦手で、嫌いだ。
何にも考えない思考力のないノーテンキな私ではあるが
「言語化する」ことは、思考停止することのように思われて嫌なのだ。
といいつつ・・・、ブログに取り組んでいる(笑)
すなわち人と人との理解はことばにたよることで
よりあいまいなところで止めてしまっているのだと思う。
ことばが、うまれたことで
人間同士の感情の共有がより深まったのだろうか。
私はそうは思わない。
人間にいわゆることばがなかったとしたら
私たちは相手の鳴き声(?)、発する音や、
しぐさ、息づかい、まなざし、ぬくもりなど
ありとあらゆる五感を総動員して
深いふかい魂の交流を重ねていたであろう・・・そう思うのである。
心は空虚なことばの一時預かり場でしかないのだと思う。
生き物(人間も)は、
天から降りてきた何かを介して
魂の交流を深めているのだろう・・・。
「詩は、論理ではない、」と
覚和歌子さんも言っていた。
そう。降りてくるらしい(笑)
今日も幸せ
明日も幸せ。
0コメント